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俺の報告

RoomClipを運営するエンジニアの日報(多分)です。

日報 #38 - 僕のコンピュータ史 part3

すげー大変な日々だから、
ここで息を抜くことにした。

僕のコンピュータ史 part 1
http://tom-rc.hatenablog.com/entry/2014/08/05/232343

僕のコンピュータ史 part 2
http://tom-rc.hatenablog.com/entry/2014/08/08/234123

前回までのあらすじ
1900年代前半、集合論の始祖カントールからバトンを受けた大数学者ヒルベルトは、 矛盾なき数学の基礎作りに心血を注いでいた。
着々と進んでいるかのように見えたヒルベルト・プログラムであったが、
1人の若き数学者クルト・ゲーデルによって事態は急変するのであった。


1931年9月7日のプロイセンで行われた「厳密科学における認識論」という会議で、ゲーデルは簡単に言うと下記のようなことを言い放った。
「数学が数学に必要な全ての公理を書き出すことは不可能」(注1 )
そしてとどめを刺すように同年11月17日、
「仮に公理を書き出したとして、その体系が矛盾していないことを証明できない」
と加えた。
当時、この破壊力満点の発表を即座に理解できた人は極僅かの数学者だけであった。 そして、偉大な数学者ヒルベルトが、その「極僅か」に入らないわけもなかった。

ヒルベルトは「数学の完全性、無矛盾性」についてあるいは自信があったのかもしれない。 自分がこよなく愛する数学は、「今はまだ」不完全だが、神の知る数学は完全であると素朴に思っていたのかもしれない。
その証明のために行ったプログラムが、「そうじゃない」ことを証明してしまったとき、彼は68歳のおじいさんだった。
彼は裏切られたと思ったであろうか、
ゲーデルショックにあてられた他の凡百の数学者と同様に、失望したであろうか。

誰よりも数学を愛し、誰よりも数学から愛された大数学者ヒルベルトの墓石には、
こう書かれている。

「我々は知らねばならない、我々は知るだろう」

生理学者エミールが放った人間の認識の限界を主張した言葉、
「我々は知らない、知ることはないだろう」
に対する痛烈な批判であり、ヒルベルトの数学への思いが詰まった言葉である。

ヒルベルトはその限界を証明した数学に対しても、愛をやめなかったのである。

かくして、純粋数学が向き合ってきた完全性・無矛盾性についての議論は、
不完全性定理という1つの終了を迎え、新たなる時代へと突入していく。
しかし、歩を進めたのは何も数学だけではなかった。
数学という業界が掲げたこの「肥沃なテーマ」は、あらゆる学問領域にとてつもない刺激を与えた。 純粋数学の周辺から伝搬していった衝撃波は、多くの領域に天才を生み出す結果となる。
チューリング、チャーチ、シャノン、そしてフォン・ノイマン
彼ら天才は純粋数学から一定の距離を置き、ある1つのテーマに執心していくことになる。

「数学の基礎論において不完全性があることは分かった。しかし、だからといって数学が無力になったわけではない。演算は、計算は、関数は、一体どういう姿をしており、何ができ、何が出来ないのか」

計算機科学の始まりである。

「遂に生誕した計算機科学、巻き起こる第二次世界大戦、数学者が紙とペンで描いた抽象的計算モデルは受肉するのか?
次回、アラン・チューリングという男
この次も、サービスサービスゥ!」

(注1)
自然数論を含む帰納的公理化可能な理論」に限ります。
別に幾何学とかはその範疇じゃないですたい。