俺の報告

RoomClipを運営するエンジニアの日報(多分)です。

日報 #22 - 僕のコンピュータ史 part 1

いやしかし、色々と間に合っていません。
複数人開発でもっとスピードアップできるようにせななりません。
だどもそれが出来なんだ、、、わいのせいや、、、悔しいのう。。。
誰かおじさんを手伝っておくれよ。。。とほほ。

気を取り直して、
今日は作業しまくりんぐだったので完全俺の自己満足話をしましょう。
というかさせてくれ、これ楽しいんだ、俺にとってすごく。

俺がコンピュータと向かい合うとき、いつも感じ入る歴史がある。
数学、物理、そして戦争を含むあらゆる時代背景において、
様々な「事情」が絡み合いやがて必然のごとく産まれるコンピュータ。
全てを語りきるにはスペースも知識も足りないが、
あくまで俺の自己満足の範囲内で書いていきたいと思う。

時間を19世紀後半に戻す。
第一次世界大戦も始まっていないこの時代。
とある数学者が、親切心からとんでもなく余計なことをし始める。
これが、あらゆる悪夢の始まりであり、コンピュータ史における偉大なる一歩目。

物語はドイツの偉大な数学者、ゲオルク・カントールから始まる。

当時、あらゆる分野で辣腕をふるっていた解析学であったが、
その形式は表記も思想もバラバラであり、天才よってのみ構築されるような「職人芸」が目立っていた。
カントールは、こりゃいかんとばかりに、その問題を解決しようと試みる。
手始めに、と軽い気持ちでまず最初に取り組んだのが、実数体系、即ち「数ってなぁに?」という素朴な領域であった。
彼は本当に素朴に実数体系(やその他もろもろ)に取り組み、
当時はアンタッチャブルであった「無限」という概念についてまで無邪気に研究しまくる。
途中からデデキントとかいうウンコ天才も参画し、
結果として、「集合論」という数学の一領域を確立するまでにいたる。
その全ての業績から、カントールはこの時代を代表する数学者となるのであった。

しかし、彼はあまりにポジティブな人間であったのか、
自身の作った集合論に「色々なパラドックス(矛盾)」があることを既に知りつつ、
割りとそれについては放置していた。
晩年は「まぁそれも数学の肥やしになるだろう」くらいな軽い気持ちで、さっさとサナトリウムに引きこもってしまう。
たまったもんじゃないのは、残された数学者達だ。
彼らはまじめにカントール集合論(素朴集合論といいます)を読み解くのであるが、
カントールの言っていたパラドックス以外にも、あるわあるわ、ものごっついパラドックスが多数発見されることとなる。
カントールパラドックス、ラッセルのパラドックなどは中でもとても有名なパラドックスです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%BB%E3%83%AB%E3%81%AE%E3%83%91%E3%83%A9%E3%83%89%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9

しかし、悲しいかな、一方で素朴集合論は基本的な部分においては非常によろしく数学全体を記述していた。
その記述力は、それらパラドックスさえ無視すれば、集合論こそ数学のあらゆる理論の基礎である、と云わせしめる程力強いものであった。
でもこれ逆に言うと、
数学の根幹である(と思われていた)素朴集合論には、矛盾があるというわけなので、
とってもまずいんです。
端的に、数学者は意気揚々と使っている「実数」とか「自然数」とかが疑わしいものだと気づいてしまったのです。
さぁいち早くこの矛盾を解決しなければ、数学は前に進めません。

数学に矛盾なんてないんだ!

その号令とともに、多くの数学者が上陸作戦に躍り出て、バカスカと討ち死にしていくわけだが、
ついに1917年ごろ、その現状を見かねた時の大数学者が、この問題に本気を出すことを宣言するのです。
フォン・ノイマンという大天才の才能をいの一番に見いだし、
代数学の父とまで呼ばれ、
絶大なる名誉と栄誉にありながら、
この案件1点において後に「フルボッコ」にされるナイスガイ、
ダフィット・ヒルベルトその人である。

またこの話題の時に続きを書きます。
まだ1917年、WW2すら始まっていない時代なので、これからクッソ長いです。
あぁ、楽しかった。

続き http://tom-rc.hatenablog.com/entry/2014/08/08/234123

(注意:おれは数学者でもなんでもないので、かなり適当に書いてます。間違ってたらそっと教えてねー)