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俺の報告

RoomClipを運営するエンジニアの日報(多分)です。

日報#25 - 僕のコンピュータ史 part 2

何があったって、日々頑張っていきましょう。
明日はお休みだし、皆酒飲んでいるだろうから、
俺だって好きな話をするんだよ。

前回までのあらすじ。

http://tom-rc.hatenablog.com/entry/2014/08/05/232343

19世紀後半の傑物カントールによって、数学界はその基礎となる集合論を得た。
しかし、集合論には多くのパラドックスが含まれていたのだ。
多くの数学者がそのパラドックスに挑む中、ついに時の大数学者ヒルベルトまでが立ち上がったのであった。


ダフィット・ヒルベルトという人物は大袈裟でなく屈指の数学者である。
その学識範囲はあまりにも広大で、ヒルベルト学派という派閥を構成するほどであった。
幾何学の祖たるユークリッド幾何学の一般化に成功してからというもの、
彼の研究活動は解析学代数学、さらには物理学へと及び、まさに破竹の勢いで拡大していった。

そんな彼だからこそ、集合論パラドックスは我慢ならなかった。
数学が依拠する「矛盾なき公理」を打ち立てなければならない。
「矛盾なき公理」 ― 神への挑戦とも言えるこのバベルの塔は、「ヒルベルト・プログラム」という命名を受け、多くの若き数学者の耳目を集めた。
あのヒルベルトが言うのなら、、、と研究にも熱がこもる。
そして、大方の予想通り、圧倒的な勢いで次々にパラドックスが修正されていった。
やがてカントール集合論は「素朴集合論」という呼称へと変わり、
新しい集合論、「公理的集合論」と明確に区別されるようになる。
人々は無矛盾な公理系が構築されていくその様子と、その先頭に立つ圧倒的な存在としてのヒルベルトに、数学の未来を感じていた。

そして、
その望み通り、数学の未来はやってきた。
しかしその姿は、期待していたものとは似ても似つかないものであったのだった。

 

カントールサナトリウムへ入り、曖昧な状態になっていた頃、オーストリア・ハンガリー帝国(現在のチェコ)のとある上流階級の家に1人の男が生まれた。
彼は4歳年上の兄と、大きな果樹園をたずさえた庭園、そして可愛い二頭の犬と共にすくすくと育ち、第一次世界大戦中であっても何不自由なく青年時代を過ごした。
やがて立派な紳士となった彼は、大学へと進み数学を始める。
他の多くの数学者と同じように、無矛盾なる完璧な数学を目指した彼は、必然的にヒルベルト・プログラムと出会う。
そして、才能に満ち溢れた青年の人生は頂点を迎えるのであった。

1930年。
クルト・ゲーデル若干24歳。
彼は「不完全性定理」と書かれた論文を提出する。

http://www.w-k-essler.de/pdfs/goedel.pdf

数学の未来は確かにやってきた。
「不完全」という名前と共に。

数学界に大きなクサビが打ち込まれ、
メタ数学と計算機科学の産声があがった瞬間である。


「崩壊する自然数論、一斉に開花する計算機科学、ZFC公理系に仕込まれた罠とは?
次回、ゲーデル、チャーチ、チューリングが出会う場所
この次も、サービスサービスゥ!」

続き http://tom-rc.hatenablog.com/entry/2014/09/01/225206